とてもつらいことが起きたとき、人は必ず強い悲しみや恐怖を感じるとは限りません。むしろ、受け止めきれないほど大きな出来事に直面すると、急に頭が真っ白になり、感情が消え、自分に起きていることなのにどこか他人事のように感じることがあります。
人から強く責められた瞬間にボーッとして相手の言葉が頭に入らなくなる。家へ帰ったことは覚えているのに、その途中の記憶がほとんど残っていない。少し休んでいたつもりなのに、時計を見ると何時間も経っている。傷つくことを言われたのに、その場では悲しみも怒りも湧かず、あとから身体だけが重くなる。
こうした体験の背景には、解離と呼ばれる心身の反応が関わっていることがあります。
解離とは、意識、感情、記憶、身体感覚、自分という感覚、周囲の現実感など、本来ひとつながりになっている働きの一部が切り離されるような状態です。
それは突然起きる特別な現象というより、強いストレスやトラウマを経験した人が、耐えきれない苦痛から自分を守るために身につけてきた反応として理解すると、その仕組みが見えやすくなります。
解離そのものについて詳しく知りたい方は、解離とは何か|トラウマから心を守る防衛反応もあわせてご覧ください。
- つらすぎると、心は「感じない」ことで耐えようとする
- 「ボーッとする」は、心がその場から距離を取っていることがある
- 「時間が飛ぶ」「途中の記憶がない」と感じることがある
- 自分を外から見ているように感じる「離人感」
- 悲しいはずなのに、悲しみだけが出てこない
- 感情を消すことで人間関係を生き延びてきた人もいる
- 複雑性トラウマでは「自分の一部を切り離す」ことが生きる方法になる
- 外からは普通に見えるため、解離は気づかれにくい
- 解離が起こりやすい人は、自分の限界に気づくのが遅れやすい
- 解離から戻るために必要なのは、無理に過去を思い出すことではない
- 感情は、一気に取り戻すのではなく少しずつ戻ってくる
- 「何も感じない」の奥には、感じすぎてきた時間がある
つらすぎると、心は「感じない」ことで耐えようとする
人は危険を感じると、身体を緊張させ、逃げたり抵抗したりする準備に入ります。
ところが、逃げることも抵抗することも難しい状況が長く続くと、心身は別の方法で自分を守ろうとします。そこで起こりやすくなるのが、感じる力そのものを弱め、起きている出来事から心理的な距離を取る反応です。
恐怖を遠ざける。痛みを感じにくくする。身体の感覚を薄くする。目の前の出来事を、自分とは少し離れたところで起きているように感じる。
このように心身は、出来事そのものを消すことができないとき、その出来事を感じる強さを下げることで耐えようとします。
そのため、本当に大きなショックを受けた人ほど、直後には意外なほど冷静に見えることがあります。普通に話し、仕事や家事を続け、周囲にも気を配れるため、本人自身も「意外と平気だった」と考えることがあります。
しかし、心が平静だったというより、感情へのアクセスが一時的に遠くなっていた可能性があります。
数時間後や数日後になって急に涙が出ることもあれば、身体のだるさ、頭痛、眠気、胸の圧迫感、動悸として反応が現れることもあります。
「ボーッとする」は、心がその場から距離を取っていることがある
解離という言葉から、意識を完全に失うような状態を思い浮かべる人もいますが、実際には日常生活のなかでもっと曖昧に現れることがあります。
たとえば、人から強い口調で責められている途中から、相手の声が遠くなっていくように感じることがあります。返事はしているものの、頭では内容をほとんど処理できず、あとで「何を言われたのかよく覚えていない」となります。
会議や人間関係の緊張が続いたあと、パソコンの画面を見ながら長い時間動けなくなる人もいます。何かを考えていた感覚も薄く、ただ時間だけが過ぎていきます。
こうした状態では、注意力が単純に低下しているというより、心身が目の前の刺激との接触を弱めていることがあります。
特に、子どもの頃から怒鳴られる、責められる、親の機嫌を常に読まなければならないといった環境で育った人は、危険を感じると頭を空白にして耐える反応を身につけることがあります。
大人になってからも、上司から強く注意される、恋人が怒る、誰かから否定されるといった場面で、昔と同じ反応が自動的に起動し、ボーッとしたり頭が真っ白になったりすることがあります。
身体そのものが固まる反応については、凍りつき反応(フリーズ)とは何か|トラウマで心身が止まる仕組みと回復の全体像でも詳しく説明しています。
「時間が飛ぶ」「途中の記憶がない」と感じることがある
解離では、時間の感覚が変化することがあります。
ほんの少しぼんやりしていたと思ったのに一時間以上経っていたり、家を出て目的地へ着くまでの記憶がほとんど残っていなかったり、会話の途中だけ記憶が抜けていたりします。
強いストレス状態では、起きている出来事をひと続きの経験として整理する働きが乱れやすくなります。
そのため、「何が起きたか」という事実の一部は覚えているのに、「そのとき自分が何を感じていたのか」「その前後に何があったのか」というつながりが薄くなることがあります。
相手の表情だけ覚えている。ある言葉だけ鮮明に残っている。部屋の景色だけ覚えている。身体が震えていた感覚だけ残っている。
このように、経験がまとまった物語としてではなく、断片的な感覚や映像として残る場合があります。
後から振り返ったときに、「確かに自分が経験したはずなのに、自分の出来事という実感が薄い」と感じるのも、このためです。
PTSD/トラウマ症状とは|フラッシュバック・過覚醒・回避と回復のポイントでは、トラウマ記憶が現在の感情や身体反応にどのようにつながるのかを詳しく取り上げています。
自分を外から見ているように感じる「離人感」
解離が強くなると、自分自身との距離が大きくなることがあります。
話している自分を少し離れた場所から眺めているように感じる、自分の声が自分の声に聞こえない、自分の手や身体を見ても自分のものという実感が薄いという体験です。
頭では自分がここにいると分かっているのに、身体の実感がついてきません。
鏡を見たときに、「これは本当に自分なのだろうか」と不思議な感覚になることもあります。
こうした体験は離人感と呼ばれます。
さらに、自分ではなく周囲の世界が遠くなることもあります。よく知っている街なのに初めて見る場所のように感じたり、家族の顔を見ても現実味が薄かったり、景色が平面的に見えたり、世界との間に透明な膜があるように感じたりします。
この状態では、「自分がおかしくなってしまった」と強い不安を抱きやすくなります。その不安によって身体がさらに緊張すると、現実感が一層遠のくこともあります。
自分や周囲の現実感が遠くなる感覚については、自分が自分でない感じがする|離人感・解離・パニックの中で自己感が遠のくときも参考になります。
悲しいはずなのに、悲しみだけが出てこない
解離のなかでも見過ごされやすいのが、感情だけが遠くなる状態です。
頭では「自分は傷つけられた」と理解しているのに、悲しさを感じない。理不尽なことをされたと分かっているのに、怒りが出てこない。大切な関係が終わったのに涙が出ず、妙に淡々としている。
人から「つらかったでしょう」と言われても、自分ではよく分かりません。
こうした人は、自分のことを「冷たい人間なのかもしれない」「感情が薄いのかもしれない」と考えてしまうことがあります。
しかし実際には、感情そのものが消えたというよりも、感情と意識とのつながりが弱くなっている場合があります。
悲しみを感じる代わりに身体が重くなる、怒りの代わりに首や肩が固まる、恐怖を自覚する代わりに眠くなる、嫌だという気持ちが分からないまま胃が痛くなるといった形で、感情が身体側に現れることもあります。
感情がわからない・身体の感覚がない|解離とストレスで「麻痺」が起きる仕組みでは、このような感情と身体感覚の麻痺について詳しく説明しています。
感情を消すことで人間関係を生き延びてきた人もいる
幼少期の環境によっては、自分の感情を感じること自体が危険だった人もいます。
怒ればさらに怒られる家庭であれば、怒りを止める必要があります。泣くと「うるさい」「弱い」と責められる家庭なら、悲しみを表に出さないようになります。親の機嫌が頻繁に変わる家庭では、自分の気持ちよりも親の表情や声色を読むことが優先されます。
そのような環境が長く続くと、「私は何を感じているのか」よりも、「相手はどう思っているのか」を先に考えるようになります。
やがて自分の感情が分からなくなり、人から嫌なことをされても、その場では相手の事情を理解しようとします。家へ帰ってから急に疲れたり、身体が動かなくなったりして初めて、自分がかなり無理をしていたことに気づきます。
これは、感情を持っていないという状態ではなく、自分の感情よりも周囲の安全確認を優先する生き方が深く身についている状態として見ることができます。
自分の本音や欲求が分からなくなっている状態については、自分の気持ちや本音がないように感じる理由|支配的な親とトラウマが残す自己喪失でも取り上げています。
複雑性トラウマでは「自分の一部を切り離す」ことが生きる方法になる
一度の大きな出来事だけでなく、家庭内の緊張、暴力、否定、無視、支配、親の感情の不安定さなどが何年も続いた場合、解離は一時的な反応から、日常を生きるための方法へ変化することがあります。
家の中で危険を感じるたびに感情を消す。親が怒っている間は身体を小さくして動かなくなる。嫌な出来事が起きると空想の世界へ入る。学校にいる間は家庭のことを考えず、家へ戻ると学校での自分が遠くなる。
このように環境ごとに自分を切り替えることで、その時々を乗り越えてきた人もいます。
長期間この状態が続くと、現在の生活が安全になってからも、ストレスが高まるたびに同じ防衛反応が起こります。
仕事で少し強く注意されただけで頭が真っ白になる。恋人と深い話をしようとすると急に何も感じなくなる。休日になった途端に身体が動かなくなる。人と会っている間は元気なのに、一人になると自分が空っぽになる。
過去には必要だった反応が、現在では自分の気持ち、人間関係、記憶、身体感覚を分かりにくくする形で残っていることがあります。
外からは普通に見えるため、解離は気づかれにくい
解離を抱えていても、日常生活をある程度続けられる人は少なくありません。
仕事ではきちんと受け答えができ、家事もこなし、友人と会えば笑うこともできます。そのため周囲からは「普通に元気そう」と見られます。
本人も、「仕事には行けているから大丈夫」「人と話せているから深刻ではない」と判断しやすくなります。
ところが、内側ではかなり違うことが起きています。
人と話している間ずっと自分の感覚が遠い。仕事中の記憶が曖昧になる。家へ帰った瞬間に動けなくなる。何かを楽しんでいても自分が楽しんでいるという実感が薄い。
外側の生活が保たれていることと、内側に苦痛が少ないことは同じではありません。
複雑性PTSDの人が生きる世界|平静に見えても、心と体の内側では激しいことが起きているでは、外から見える姿と内側の状態が大きく異なる理由について詳しく説明しています。
解離が起こりやすい人は、自分の限界に気づくのが遅れやすい
感情や身体感覚が遠くなると、自分がどれほど疲れているのか、何を嫌がっているのか、どこまで無理をしているのかが分かりにくくなります。
本来なら「もう疲れた」「この人から離れたい」「今日は休みたい」という感覚がブレーキになります。しかし、その感覚自体が弱くなると、限界を超えても行動を続けてしまいます。
仕事では最後まで頑張り、人間関係では相手に合わせ続け、家へ帰ってから突然動けなくなるということが起こります。
「突然調子が悪くなった」と感じても、実際にはその前から身体はかなり長い時間、緊張や疲労を抱えていた可能性があります。
そのため解離へのケアでは、強い感情だけを探すのではなく、「少し肩が固い」「呼吸が浅い」「この人と話しているとお腹に力が入る」「帰宅すると急に眠くなる」といった小さな身体反応を手がかりにしていきます。
解離から戻るために必要なのは、無理に過去を思い出すことではない
トラウマのケアというと、過去の出来事を詳しく話し、強い感情を吐き出すことを想像するかもしれません。
しかし、解離が強い人に過去の記憶や感情を急激に刺激すると、心身が再び処理できる範囲を超え、さらに深くシャットダウンすることがあります。
解離からの回復では、まず現在の身体が「ここは少し安全だ」と感じられる経験を増やすことが重要になります。
座っている椅子の感触を確かめる。足の裏が床に触れている感覚を探す。部屋の中を見渡し、現在いる場所をゆっくり確認する。温度や光、音など、今この瞬間の情報を身体に戻していく。
さらに、自分を緊張させる人から少し距離を取ること、疲労が限界へ達する前に休むこと、嫌なことに小さく「嫌だ」と気づくことも、解離から戻るための大切な土台になります。
つまり、回復とは「二度と解離しない自分」を作ることより、解離が起きても、自分の身体と現在へ戻ってこられる道を少しずつ増やしていくことです。
トラウマからの回復全体については、トラウマの治し方・克服する方法|凍りつきと過覚醒から回復していくためにで詳しく紹介しています。
感情は、一気に取り戻すのではなく少しずつ戻ってくる
解離が長く続いてきた人にとって、感情を取り戻すことは、いきなり強い悲しみや怒りを感じることではありません。
最初は、「今日は少し疲れている気がする」「この人の前では身体が固くなる」「本当は行きたくなかったのかもしれない」といった、ごく小さな感覚から始まります。
その小さな感覚を無視せず、自分の中に置いておけるようになると、少しずつ好き嫌いが分かるようになり、自分が何を望んでいるのかも見え始めます。
やがて、今まで感じることのできなかった悲しみや怒りが現れることがあります。
そのとき重要なのは、急いで全部を処理しようとしないことです。
これまで心が閉じていたのには、それだけの理由があります。安全を確かめながら、感じられる範囲を少しずつ広げることで、心と身体のつながりはゆっくり戻っていきます。
「何も感じない」の奥には、感じすぎてきた時間がある
トラウマを抱えた人の苦しさは、フラッシュバックや強い恐怖として現れるものだけではありません。
ボーッとする。時間が飛ぶ。記憶が曖昧になる。自分を外から見ているように感じる。感情だけが消える。人と話していると、自分がどこかへ行ってしまうように感じる。
一見すると別々の症状に見えますが、その奥では、心と身体が強すぎる苦痛から距離を取ろうとしていることがあります。
「何も感じない」という状態は、何も経験してこなかった人に起きているとは限りません。
むしろ、怖さも悲しみも怒りも、本来なら一人では抱えきれないほど感じてきたからこそ、心がその感覚を遠ざける方法を覚えた場合があります。
長いあいだ自分から切り離してきた感覚は、無理に取り戻そうとすると再び負担になります。
必要なのは、現在の生活の中に安全を増やし、自分の身体がどのように反応しているのかを少しずつ知り、自分の感情を感じても飲み込まれない経験を重ねていくことです。
そうした過程のなかで、遠くなっていた身体感覚、感情、記憶、時間の感覚が少しずつつながり、「自分がここにいる」という感覚も戻ってきます。
解離からの回復は、失われた自分を探しに行くというより、長いあいだ遠くに置いてきた自分とのつながりを、安全なところから少しずつ取り戻していく過程なのです。



– 生きづらさはどこで生まれたのか –』
