人の表情や声の調子、その場の空気の変化に敏感に反応してきた。相手の機嫌を読みすぎて疲れ、何気ない一言がいつまでも胸に残り、外では平気そうに振る舞っていても、帰宅した途端に動けなくなる。
長いあいだ、そんな緊張を続けてきた心が、ある時期からほとんど何も感じなくなることがあります。
好きだった音楽を聴いても心が動かず、誰かと過ごしていても楽しさが届いてこない。以前なら悲しくなった出来事にも、どこか遠くのことのような感覚しか湧かなくなる。
仕事へ行き、必要な会話をし、家事をこなしていても、内側では何も感じられない。休日になっても休んだ実感がなく、ソファや布団の上で時間だけが過ぎていくことがあります。
こうした状態には、感情の麻痺や無気力が関わっている場合があります。
感情の麻痺は、うれしさや悲しさ、怒り、親しみといった感情の動きが乏しく感じられる状態です。無気力は、何かをしようとする意欲が低下し、行動を始めることが難しくなる状態を指します。
また、好きだったことに喜びを感じられなくなる状態は「快感消失」と呼ばれ、うつ病などでみられる重要な症状の一つです。
これらは、うつ病、PTSD、解離、慢性的なストレス、睡眠障害、身体疾患など、さまざまな状態で現れます。長いあいだ緊張を続けてきた経験が関係する場合もありますが、その原因を一つに決めつけずに理解することが大切です。
感情の麻痺は、感じすぎてきた心が力を節約するときに起こる
幼い頃から家庭の空気を読み、怒鳴り声や沈黙に身構え、周囲の期待に応え続けてきた場合、自分の感情を十分に味わう余裕が持てないことがあります。
悲しい出来事があっても、泣いている場合ではなかった。怖いことが起きても、次にどうすれば怒られずに済むかを考えなければならなかった。寂しさを感じる前に、親やきょうだいの状態を確認していた。
そうした時間が長く続くと、感情を表現することよりも、目の前の状況に適応することが優先される場合があります。
誰かに腹が立っても、その怒りを感じる前に相手の事情を考える。傷ついても平気な顔をして、その場を穏やかに収めようとする。自分の気持ちを確かめるより、周囲を安心させることが先になっていくのです。
PTSDに伴う感情の麻痺を研究したリッツとグレイ(Litz & Gray, 2002)は、トラウマ後の感情反応について、強い恐怖や不安が続く一方で、肯定的な感情を感じたり表現したりすることが難しくなる可能性を論じています。
このような状態では、不安や緊張には敏感に反応しているのに、安心や喜びは十分に感じ取れないことがあります。嫌なことには身体が強く反応する一方で、うれしい出来事があっても心がほとんど動かないという感覚です。
長期的なトラウマでは、圧倒される感情から距離を取るような解離的な反応が生じることもあります。
ただし、感情が薄くなることをすべて防衛反応として理解するのではなく、抑うつに伴う快感消失なども含めて状態を整理する必要があります。
無気力の背後には、長く続いた警戒がある
無気力になっているとき、周囲から見える姿と、本人の内側で起きていることが大きく異なる場合があります。
仕事へ行き、家事も最低限こなし、必要な連絡には返事をしている。しかし本人は、朝からすでに疲れ切っていて、これ以上何かを考える余力がほとんど残っていない。
人の声や物音、視線、沈黙、予定の変更に気を配り続けていると、生活の中で多くの注意や感情の調整が必要になります。
心理学者トレッドウェイとザルド(Treadway & Zald, 2011)は、うつ病にみられる快感消失について、喜びを感じる働きと、その喜びを得ようとして行動する意欲を区別する重要性を指摘しました。
何かを楽しめないことと、楽しめる可能性があっても行動を始められないことは、似ているようで異なる側面を持っています。
たとえば、好きな映画を見始めれば楽しめるのに、再生ボタンを押す気力が湧かない。友人と会えば気分が少し軽くなると分かっていても、連絡を返すだけで疲れてしまう。
こうした意欲の低下には、単なる疲労だけでなく、報酬を予測したり、行動へ向かったりする心身の働きが関わる場合があります。
また、ピッツァガリ(Pizzagalli, 2014)は、慢性的なストレスと脳の報酬系の関係に注目し、ストレスが快感消失に関わる可能性を論じています。
長く続くストレスのもとでは、楽しさや達成感を得るための働きにも変化が生じる可能性があります。
そのような状態になると、好きなことを楽しむ以前に、一日を終えることへ多くの力を使うようになります。
特に、休んでいる間にも何かしなければならないと感じる場合には、休息そのものが負担になっていることがあります。何もしないと不安になる理由|機能不全家庭と慢性的過覚醒の心理構造では、休むことに不安が結びつく背景を詳しく扱っています。
日常をこなしていても、内側では凍りついていることがある
無気力や感情の麻痺は、完全に動けなくなる形だけで現れるものではありません。
買い物に行き、家族と話し、仕事も続けているのに、自分がそこにいる実感が薄くなることがあります。
会話をしている最中、急に周囲の声が遠くなる。相手の言葉は聞こえているのに内容が頭に入らず、自分の返事まで自動的に出ているように感じる。
何かをしたいという気持ちが湧かず、気づけば数時間が過ぎていることもあります。
精神科医ルース・ラニウスら(Lanius et al., 2010)は、PTSDにおける感情調整の違いに注目し、強い恐怖や過覚醒が前面に現れる状態と、感情が過度に抑制され、離人感や現実感の喪失を伴う解離性の状態を区別して論じています。
強いストレスを受けたとき、人は必ずしも激しく動揺するとは限りません。身体が固まって声が出なくなったり、感情が遠のいたように感じたりすることもあります。
たとえば、相手から強く責められている最中には、何も感じず淡々と返事をしていたのに、帰宅してから身体が重くなり、その場から動けなくなることがあります。
あるいは、悲しい出来事があったはずなのに涙が出ず、自分のことなのに他人の話を聞いているように感じる場合もあります。
こうした反応には解離が関わる可能性がありますが、凍結反応、感情の麻痺、無気力は同じ現象ではありません。また、強い疲労や抑うつ、睡眠不足などによっても、ぼんやりしたり、記憶や集中力が低下したりします。
そのため、自分がどのような場面で感覚を失いやすいのか、睡眠や生活の状態がどう変化しているのかを確認していくことが重要です。
解離に関わる症状については、解離の症状|自分が自分ではない感覚と心身の反応でも詳しく説明しています。
元気を急ぐほど、心はさらに奥へ引っ込みやすい
無気力な状態が続くと、以前のように動ける自分へ戻りたいという焦りが強まることがあります。
もっと頑張らなければならない。人と会えば気分が変わるかもしれない。何か始めなければ、このまま取り残されてしまう。
そんな思いから予定を増やし、無理に活動しようとして、かえって疲労が強くなる場合があります。
反対に、何もできなかった一日を振り返り、また自分を責めてしまうこともあります。
回復の過程では、現在の心身の状態を理解し、必要な治療や休養と、負担の少ない活動とのバランスを考えることが大切です。
うつ病の心理療法として研究されている方法の一つに、行動活性化があります。
アップホフら(Uphoff et al., 2020)は、成人のうつ病に対する行動活性化について、53件の研究を対象とした系統的レビューを行い、有効な治療選択肢となる可能性を報告しています。ただし、研究の確実性には限界があり、すべての人に同じ方法が適するわけではありません。
行動活性化は、気合いを入れて活動量を増やすこととは異なります。生活の中で負担になっている行動や避けている活動を整理し、その人にとって意味のある活動へ、取り組める範囲で少しずつ近づいていく方法です。
日常生活では、朝にカーテンを開ける、食事を取る、短い時間だけ外へ出るといった活動から始めることもできます。
ただし、すでに強い疲労や睡眠不足がある場合には、活動を増やすことより、休養や生活環境の調整を優先する必要があります。
身体の緊張が強い場合には、過緊張で疲れ果てる人へ|いつも気を張ってしまう身体の仕組みも参考になります。
また、楽しさを感じられない状態や強い無気力が続き、仕事や家事、食事、睡眠などに支障が出ている場合には、医療機関で心身の状態を確認することも大切です。
当事者の体験として
私の中には、空っぽに感じられる時間があります。
誰かと笑っていても、心だけが少し離れたところにいる。楽しい出来事が目の前で起きているのに、内側では何も動かず、何かをしようと思っても身体がその気持ちについてこない。
周囲には、興味が薄いように見えるかもしれません。何もしたくない人間だと思われるかもしれません。しかし、私自身は、そうした状態へ至るまでに、長いあいだ気を張り、人の顔色を読み、傷ついた気持ちを後回しにしてきたことを感じています。
「元気になって」と言われると、今の自分では足りないように感じ、胸が重くなることがあります。
以前のように動こうと急ぐより、まず疲れ切っている自分を理解したい。何も感じられない時間にも、今の自分が何を必要としているのかを、少しずつ確かめていきたいと思います。
感じる力は、安全のなかで少しずつ戻ってくる
感情が乏しくなると、人は自分自身とのつながりまで失ったように感じることがあります。
何が楽しいのか、誰と会いたいのか、何をしたいのか。そうしたことが分からなくなると、日常生活の意味も薄れていくように感じられます。
回復に向けては、身体の疲労や生活環境、対人関係の負担を整理しながら、自分の感覚に気づける時間を増やしていくことが大切です。
温かい飲み物を持ったとき、手のひらに少し温度を感じる。椅子に座ったときに、背中が支えられていることへ気づく。誰かと話したあと、今日はいつもより疲れが少なかったと感じる。
こうした小さな違いは、自分の状態を知るための手がかりになります。
身体感覚への注意がかえってつらさを強める場合には、無理に内側へ意識を向けず、周囲の景色や音などへ注意を向けることもできます。
長いあいだ緊張してきた場合には、安心できる環境へ移ったあとも、すぐには心身が落ち着かないことがあります。休むことに慣れていなかったり、何もしていない時間に不安が強まったりするためです。
そうした心身の状態については、漠然とした不安の原因はトラウマ?|心は安全でも、身体が危険を探し続けるときでも詳しく解説しています。
感情の麻痺と無気力は、その人の人生のすべてを表すものではありません。今の状態を理解し、必要な支援を受けながら、休息と活動、人との距離を調整していくことで、生活の実感を少しずつ取り戻していくことができます。
かつて好きだったものを、もう一度好きになれることもあるでしょう。誰かと過ごしているときに、以前ほど疲れなくなる日もあるかもしれません。
大きな変化を急ぐより、何をすると疲れ、どのような時間に少し落ち着けるのかを知っていく。その積み重ねが、自分自身の感情や意欲を取り戻していくための大切な手がかりになります。
参考文献
- Litz, B. T., & Gray, M. J. (2002). Emotional numbing in posttraumatic stress disorder: Current and future research directions. Australian & New Zealand Journal of Psychiatry, 36(2), 198–204. https://doi.org/10.1046/j.1440-1614.2002.01002.x
- Treadway, M. T., & Zald, D. H. (2011). Reconsidering anhedonia in depression: Lessons from translational neuroscience. Neuroscience & Biobehavioral Reviews, 35(3), 537–555. https://doi.org/10.1016/j.neubiorev.2010.06.006
- Pizzagalli, D. A. (2014). Depression, stress, and anhedonia: Toward a synthesis and integrated model. Annual Review of Clinical Psychology, 10, 393–423. https://doi.org/10.1146/annurev-clinpsy-050212-185606
- Lanius, R. A., et al. (2010). Emotion modulation in PTSD: Clinical and neurobiological evidence for a dissociative subtype. American Journal of Psychiatry, 167(6), 640–647. https://doi.org/10.1176/appi.ajp.2009.09081168
- Uphoff, E., et al. (2020). Behavioural activation therapy for depression in adults. Cochrane Database of Systematic Reviews, (7), CD013305. https://doi.org/10.1002/14651858.CD013305.pub2




トラウマ、解離、愛着の傷、複雑性PTSDなど、心身に残った防衛反応を丁寧に見ていきます。話すことだけに頼らず、身体の反応や安心の感覚も大切にしながら、回復の土台を整えていきます。
過緊張や生きづらさを、育った環境や親子関係のなかで身についた生存反応という視点から見つめ、身体と神経系から安心を取り戻していくための22のレッスンをまとめています。