誰かから強く注意されたあと、頭ではもう終わったことだと分かっているのに、胸のざわつきが収まらない。相手の声や表情が何度も思い浮かび、帰宅してからも身体の力が抜けず、眠る時間になってようやく自分がひどく疲れていることに気づく。
人間関係の中で緊張することが多いと、こうした反応が日常の一部になっていきます。
何かを頼まれると断る前に身体が縮み、沈黙が続くと相手の機嫌が気になる。少し強い声を聞くだけで肩がこわばり、相手が不機嫌そうに見えると、自分に原因があるのではないかと考え始める。
休日になっても仕事のことが頭から離れず、十分に休んだはずなのに身体が重い。何も予定がない時間ほど落ち着かず、何かをしていないと不安になる場合もあります。
このような状態では、現在の出来事に反応しているだけでなく、過去に経験した緊張や恐怖が、今の身体の働きに影響している可能性があります。
トラウマケアは、そうした反応を理解し、現在の生活に合った心身の調整方法を身につけながら、苦痛や生活上の困難を軽減していくための取り組みです。
過去の出来事を振り返ることが役立つ場合もあれば、まず睡眠や生活環境を整え、現在の身体反応を扱うことが必要な場合もあります。重要なのは、その人が今どのような状態にあり、何に困っているのかを確かめながら進めることです。
頭では「大丈夫」と理解していても、身体には緊張が残ることがあります。そのため、考え方を整理することに加えて、足元や背中の感覚、呼吸、視線、声、小さな動きなどを利用し、現在の身体の状態を確かめていく方法も用いられます。
- トラウマケアが必要になる心と身体のサイン
- なぜ頭では分かっていても、身体が反応してしまうのか
- トラウマケアの基本ワーク
- 今の身体に気づく|緊張している場所を知る
- 足の裏を感じる|考えすぎている意識を現在に戻す
- 背中を支える|身体を預けられる感覚を取り戻す
- 周りを見る|過去の恐怖から今の環境へ意識を戻す
- 安心しやすいものを一つ選ぶ|心身を支える感覚を増やす
- ハミングで身体に振動を届ける|喉や胸の緊張に気づく
- 微細な運動で固まりをほどく|動き出せない身体への働きかけ
- 短い言葉を添える|自分への批判を和らげる
- トラウマケアをしても落ち着かないとき
- トラウマケアは、過去を振り返ることと現在の生活を整えることの両方から考える
- トラウマ治療では、専門的な心理療法が必要になることもある
- トラウマケアで大切なこと|回復は日常の小さな変化に現れる
- このページで伝えたいこと
- 参考文献
トラウマケアが必要になる心と身体のサイン
トラウマの影響は、過去の記憶が突然よみがえることだけに限られません。身体の緊張、感情の不安定さ、対人関係での過剰な警戒など、日常のさまざまな場面に現れる場合があります。
身体にあらわれるサイン
- 人の声や物音に敏感で、急な刺激に強く驚く
- 肩や首、背中にいつも力が入り、休んでも疲れが抜けにくい
- 緊張すると動悸、胃の不快感、吐き気、めまいなどが起こる
- 強く注意されると頭が真っ白になり、身体が動かなくなる
- 疲れているのに眠れず、夜中に何度も目が覚める
感情や人間関係にあらわれるサイン
- 相手の表情や声色を読みすぎて、自分の気持ちが分からなくなる
- 断りたいことがあっても、嫌われる不安から引き受けてしまう
- 急に涙が出たり、反対に感情がほとんど動かなくなったりする
- 小さな失敗を何度も思い返し、自分を責め続ける
- 親しくなりたい気持ちがあるのに、距離が縮まると怖くなる
- 人と会ったあとは極端に疲れ、一人になると何もできなくなる
これらの反応は、現在のストレスや不安症、抑うつ、身体疾患などでも見られます。そのため、症状だけからトラウマの有無を判断することはできません。
ただし、似たような場面で同じ反応が繰り返され、生活に大きな負担が生じている場合には、その背景を丁寧に理解することが役立ちます。
なぜ頭では分かっていても、身体が反応してしまうのか
安心しにくい環境で過ごしてきた人は、周囲の変化を素早く察知することに慣れている場合があります。
親の足音がいつもより大きい、食器を置く音が強い、返事が短い。それだけで家の雰囲気が変わったことを感じ取り、怒られないために何をすればよいのか考える。
家庭の中でこうした経験が繰り返されると、相手の感情を読むことが自分を守る方法になっていきます。
大人になってからも、上司の声が少し強くなっただけで胸が縮み、恋人からの返信が遅れると不安が強まる。今の相手に責められているわけではなくても、身体は以前と似た状況に反応することがあります。
また、周囲からは落ち着いて対応しているように見えても、内側では激しい緊張が起きていることがあります。
叱責されている間は何も言い返せず、相手が立ち去ったあとになって身体が震え始める。帰宅してからようやく涙が出たり、強い怒りを感じたりすることもあります。
このような場合、本人が最も苦しむのは、反応が起こったことに加えて、「なぜ自分はこんなに弱いのか」「どうして普通に対応できないのか」と自分を責めてしまうことかもしれません。
身体心理療法の研究と臨床に取り組んできたパット・オグデン(Pat Ogden)らは、トラウマに関連する身体反応を扱う際、姿勢、動き、感覚への気づきと、現在の状況を理解する働きを組み合わせることを重視しています。
例えば、肩に力が入っていることに気づいたとき、すぐにその緊張を消そうとするより、どのような場面で強まったのか、今の姿勢は苦しくないか、身体を支えるものがあるかを確かめていきます。
こうした観察によって、緊張を強める条件と、少し楽になる条件が見えてくる場合があります。
過去に身についた反応が今も役立っている場面もあれば、現在の生活では過剰な負担になっている場面もあります。トラウマケアでは、その違いを理解しながら、今の自分に合った対処方法を増やしていきます。
トラウマケアの基本ワーク
トラウマケアの基本は、自分の身体に起きている変化を知り、その反応に合わせて無理のない方法を選ぶことです。
例えば、強い緊張の中にいるとき、早く落ち着こうとして深呼吸を繰り返したり、身体の力を抜こうと努力したりすることがあります。しかし、普段から緊張が強い場合には、落ち着こうとする努力そのものが新しい負担になることがあります。
また、身体の感覚に意識を向けると、かえって不安や恐怖が強まる場合もあります。身体の内側へ注意を向けることが難しいときは、室内の景色や床の感触など、外側にある分かりやすいものを利用する方法もあります。
心と身体の状態に合わせた8つの基本ワーク
| 今の状態 | 試してみるワーク |
|---|---|
| 自分が何に疲れているのか分からない | 今の身体に気づく |
| 不安や考え事が止まらない | 足の裏を感じる |
| 肩や背中に力が入り続けている | 背中を支える |
| 過去の記憶や恐怖に引き込まれそうになる | 周りを見る |
| 緊張が続き、休んでも落ち着かない | 安心しやすいものを一つ選ぶ |
| 喉が詰まり、声が出しにくい | 小さなハミング |
| 身体が固まり、動き出しにくい | 微細な運動 |
| 自己批判が止まらない | 短い言葉を添える |
これらは日常の心身調整を助けるための方法であり、医学的な治療や専門的な心理療法に代わるものではありません。
すべてを順番に行う必要はなく、今の自分に合うものを一つ選ぶだけでもかまいません。
また、ワークをしている途中で緊張が増したり、現実感が薄れたり、身体の不快感が強くなった場合には、その場で中止して通常の活動に戻します。
専門的な支援の進め方については、トラウマ治療の流れ|安心を取り戻すために大切なことでも詳しく説明しています。
今の身体に気づく|緊張している場所を知る
最初に、自分の身体がどのような状態にあるのかを確かめます。
仕事や家事、人との会話に追われていると、身体の疲れや緊張に気づく機会が少なくなります。肩が上がっていても、顎を強く噛みしめていても、その状態が当たり前になり、違和感として意識されなくなることがあります。
また、周囲に気を配ることが習慣になっていると、自分の身体の感覚よりも、相手の表情や声の変化に注意が向きやすくなります。
誰かと会ったあとに突然疲れが出るのは、その時間にどれほど緊張していたかを、あとになって身体が知らせている場合もあります。
ワークの手順
椅子に座るか、楽な姿勢を取り、身体の状態を一つずつ確認します。
- 胸や喉:圧迫感や詰まり、息苦しさがあるか
- 肩や首:力が入っているか、左右で違いがあるか
- お腹や顎:無意識に固くしていないか
- 呼吸:浅くなっているか、息を止めていないか
- 手足:冷たさ、重さ、力の入り方に変化があるか
- 頭や目:ぼんやりする、目の奥が疲れるといった感覚があるか
すべてを確認する必要はありません。一つ気づけたら、そこで終えても十分です。
例えば、肩に強い緊張があることに気づいたとしても、すぐにその緊張を変える必要はありません。
人と話しているときには肩が上がるけれど、一人になって椅子に座ると少し下がる。誰かから連絡が来ると胸が詰まり、返信が終わったあとも緊張が残る。
こうした変化に気づくことで、自分がどのような場面で負担を受けているのかが分かりやすくなります。
身体の反応を細かく観察しすぎると、不安が強まる人もいます。その場合は短い時間で切り上げ、目の前の景色や周囲の音などに注意を戻してみてください。
ここで大切なのは、身体を無理に変えようとすることより、現在の自分がどのような状態にあるのかを知ることです。
足の裏を感じる|考えすぎている意識を現在に戻す
不安が強まると、意識がこれから起きることや、すでに終わった出来事へ向かいやすくなります。
明日の仕事で失敗するかもしれない、さっきの発言で相手を怒らせたかもしれない。考えが次々に浮かび、椅子に座っていても落ち着かず、身体の感覚が遠くなることがあります。
そんなときは、足の裏が床に触れていることを確かめてみます。
ワークの手順
- 椅子に座り、両足を無理のない位置で床につけます。
- 足の裏のどの部分が床に触れているかを確認します。
- 右足と左足で、重さのかかり方に違いがあるかを感じます。
- 足の指や踵を少し動かし、床との接触を確かめます。
- いったん意識を室内に戻し、今の身体の状態を確認します。
足の指の付け根、踵、足の外側など、触れている場所は人によって違います。右足と左足で重さのかかり方が異なることに気づく場合もあります。
感覚がはっきりしなければ、足を少し動かして床に触れ直してみてもよいでしょう。足の裏の圧迫感が苦手な場合は、靴を履いたままでもかまいません。
不安が強いときには、頭の中で次々に起こる考えへ意識が引っ張られ、現在の身体の位置や周囲の環境が意識されにくくなることがあります。
足の裏に意識を向けることで、床の固さや身体の重さなど、今ここで確かめられる感覚へ注意を戻しやすくなる場合があります。
このワークの目的は、足の裏に特別な感覚を作り出すことではなく、今いる場所と身体の位置を確認することです。
足元に意識を向けても落ち着かない場合には、目を開けたまま部屋の中を見たり、手で椅子の肘掛けに触れたりする方法を選ぶこともできます。
背中を支える|身体を預けられる感覚を取り戻す
周囲の様子を常に気にしていると、身体は知らないうちに前のめりになりやすくなります。
相手の表情を見逃さないようにする、次に何を言われるのか身構える、会話が途切れないように注意を向け続ける。そうした状態では、胸や肩に力が入り、背中を十分に預けられないことがあります。
仕事が終わって椅子に座っていても、背中を浮かせたまま携帯電話を見ていたり、少しの物音に反応して身体を起こしたりする場合があります。
また、人に頼ることが難しかった経験を持つ場合、身体を誰かや何かに預けることにも慣れていないことがあります。
周囲を警戒し続けていると、気を抜いた瞬間に何かが起きるような感覚があり、くつろげる場所でも背中や肩の緊張が続いてしまう場合があります。
ワークの手順
- 椅子の背もたれに背中を軽く預ける
- 壁にもたれ、背中に触れている部分を確かめる
- 腰の後ろにクッションを置き、座りやすい姿勢を探す
- 肩甲骨や背中の一部が支えに触れている感覚を確認する
- その姿勢で呼吸のしやすさや肩の位置が変わるかを見る
背中全体を強く押しつける必要はありません。肩甲骨のあたりや腰の一部が触れているだけでも、その場所に支えがあることを確認できます。
背中を預けることで少し楽になる場合もあれば、背後が見えないことに不安を感じる場合もあります。
特に、過去に背後から突然声をかけられたり、身構える間もなく怖い思いをしたりした経験がある場合には、背中側へ注意を向けることが負担になることもあるでしょう。
その場合は、壁を視界に入れた姿勢を選んだり、肘掛けや机に腕を置いたりしてもよいでしょう。
身体の後ろに支えがあることを感じられると、肩や胸の力が少し緩む場合があります。
最初から深く脱力することを目指すより、自分が負担なく座れる姿勢を探すことが大切です。
周りを見る|過去の恐怖から今の環境へ意識を戻す
緊張が強いとき、意識は目の前にあるものより、不安を引き起こした出来事へ向かうことがあります。
現在は自宅の部屋にいるのに、職場で叱責されたときの相手の表情が繰り返し浮かんでくる。静かな場所にいるにもかかわらず、次に誰かが怒り出すような気がして落ち着かない。
また、過去の怖い記憶が突然浮かんだときには、現在の環境を落ち着いて認識することが難しくなる場合もあります。
そのようなときには、周囲の景色をゆっくり確認する方法があります。
ワークの手順
- 目を開けたまま、今いる部屋を見渡します。
- 机、窓、カーテンなど、目に入るものを三つ選びます。
- それぞれの色や形、置かれている位置を確認します。
- 必要に応じて、今日の日付や今いる場所を心の中で確かめます。
- 少し落ち着いて周囲を見られるようになったら、普段の活動に戻ります。
例えば、机の木目を眺め、次に窓の形を確認し、最後に壁にかかっている時計を見る。それぞれの色や形、置かれている位置を確かめます。
過去の怖い場面が思い浮かんでいるときには、「自分は今、この部屋にいる」「目の前には机がある」「さっきの出来事はもう終わっている」といった言葉を心の中で添えてもよいでしょう。
このように、現在の環境や身体の位置を確かめる方法は、グラウンディングと呼ばれる取り組みの一つです。
ただし、現在も危険な場所にいる場合には、無理に安全だと言い聞かせる必要はありません。まずは実際の安全を確保することが優先されます。
周囲を見渡すことは、過去の記憶や予期不安に引き込まれている意識を、現在の環境へ向け直すための一つの方法です。
安心しやすいものを一つ選ぶ|心身を支える感覚を増やす
慢性的な緊張を抱えていると、安心できるものを尋ねられても、すぐには思い浮かばないことがあります。
何をしていても落ち着かず、一人でいても何かに追われているような感じがする。好きだった音楽や趣味にも以前ほど心が動かず、休むことそのものが難しくなっている場合があります。
そのような状態では、大きな安心を探すより、今の負担が少し軽く感じられるものを見つけることから始めます。
日常生活で使える感覚の例
- 触覚:手触りのよい毛布、柔らかいクッション、温かいマグカップ
- 視覚:窓から入る自然光、好きな風景、見慣れた家具や植物
- 聴覚:静かな音楽、落ち着いた声、雨や風などの自然音
- 嗅覚:好きなお茶の香り、慣れ親しんだ石けんの香り
- 身体の支え:背もたれのある椅子、足を伸ばせる場所、心地よい寝具
例えば、温かい飲み物を両手で持ち、その温度を感じてみます。手のひらが少し温かくなったり、肩の力が緩んだりする場合があります。
窓から入る光を眺める、好きな音楽を小さく流す、手触りのよい毛布を膝にかけるといった方法でもかまいません。
そこで確かめたいのは、その刺激を受けたときに身体がどのように反応するかということです。
肩の力が少し抜ける、胸の圧迫感が軽くなる、目の焦点が合いやすくなる、手の緊張が緩む。反対に、何も変わらなかったり、かえって落ち着かなくなったりする場合もあります。
安心の感じ方には個人差があり、同じ人でもその日の状態によって変わります。
誰かと話すことで落ち着く日もあれば、人と話すことが負担になる日もあります。温かさが心地よいときもあれば、涼しい場所のほうが楽なときもあるでしょう。
自分の状態に合わせて選べるものを少しずつ増やしていくと、緊張したときに取れる行動の幅も広がります。
こうした日常の環境づくりについては、セーフティメーカー|日常の中に安心をひとつ作るワークでも具体的に紹介しています。
ハミングで身体に振動を届ける|喉や胸の緊張に気づく
強い緊張を感じると、喉に力が入り、声を出しにくくなることがあります。
人から注意されたときに言葉が詰まる、何かを説明しようとすると声が震える、話したいことがあるのに喉の奥が締まってしまう。
そうした状態で無理に会話を続けようとすると、ますます身体が緊張する場合があります。
喉や胸の感覚に強い苦痛がないときには、短いハミングを試してみる方法があります。
ワークの手順
- 楽な姿勢を取り、肩や首に余計な力が入っていないか確かめます。
- 口を軽く閉じ、自然な呼吸を続けます。
- 息を吐くときに、小さな声で「んー」と鳴らします。
- 二〜三秒ほどで声を止め、自然な呼吸に戻ります。
- 喉や唇、顔の周辺に振動が感じられるかを確認します。
音の大きさや長さは、自分が苦しくならない範囲で調整します。
ハミングでは、声を出すことによって喉や唇、顔の周辺に細かな振動が生じます。その振動や呼気の感覚に注意を向けることで、現在の身体の状態を確かめやすくなる場合があります。
喉が締まっているときには、言葉を話そうとするだけで苦しくなることがあります。そのようなとき、小さく短い音を出すことが、声や呼吸の感覚を確認する方法になる場合もあります。
ただし、ハミングがトラウマ症状を直接改善するという十分な臨床的根拠が確立しているわけではなく、本人に合うかどうかを確かめる補助的な方法です。
ハミングを行うときの注意点
- 大きな声を出そうとしない
- 息を長く吐くことを目標にしない
- 喉や胸が苦しくなったら中止する
- めまいや息苦しさが現れたら自然な呼吸に戻す
- 声を出すこと自体が怖い場合は、別の方法を選ぶ
無理に音を響かせたり、何度も繰り返したりする必要はありません。
声を出すことが難しい日は、周囲にある落ち着いた音へ耳を向けるだけでもかまいません。
微細な運動で固まりをほどく|動き出せない身体への働きかけ
恐怖や強いストレスを感じたとき、身体が急に動かなくなることがあります。
言い返したいのに声が出ない、逃げたいと思っているのに足が動かない、相手の話を聞きながら頭が真っ白になる。こうした反応は、強い負荷がかかった状況で現れる防衛反応の一つとして理解できる場合があります。
その場が終わってからも動き出しにくさが続き、自分の意思で身体を動かす感覚が弱くなってしまうこともあります。
例えば、職場で強く叱責されたあと、何もする気が起きず、帰宅してからも長い時間座ったままになってしまう。人から頼まれたことに圧倒され、考えることも動くことも難しくなる。
そのようなときには、いきなり大きく身体を動かすより、小さな運動から試してみます。
身体の固まりを和らげる小さな動き
- 指先:手の指をゆっくり開いたり閉じたりする
- 手のひら:軽く握ったあと、少しずつ緩める
- 足先:足の指を床につけたまま小さく動かす
- 肩:肩の位置をほんの少し変える
- 首と視線:首を大きく回さず、目線をゆっくり左右へ動かす
- 顎や口元:噛みしめている力を少し緩める
- 背中:椅子に背中を預けたまま、身体の重さを確かめる
ワークの進め方
まず、自分が動かしやすい場所を一つ選びます。
例えば、右手の指先を少し動かしてみます。指を開いて閉じる動作を一度行ったら、いったん止めます。
そのあと、手の感覚や肩の緊張に変化があるかを確かめます。
手が温かく感じられる場合もあれば、何も変わらない場合もあります。身体の状態によっては、少し動かしただけで疲労を感じることもあるでしょう。
大切なのは、どれだけ大きく動いたかより、自分で動きを始めたり、止めたりできることです。
強い緊張の中では、身体を思い通りに動かせない感覚が生じることがあります。そのようなとき、小さな動きを自分で選ぶことが、身体への働きかけを再開するきっかけになる場合があります。
身体心理療法では、このように現在の身体反応を観察しながら、無理のない範囲で動きや姿勢を調整する方法が用いられています。
より専門的な身体志向のアプローチについては、ソマティック・エクスペリエンスとは|身体から始めるトラウマケアで取り上げています。
短い言葉を添える|自分への批判を和らげる
身体の状態を確かめたあとには、今の自分に合う短い言葉を添えてみます。
人は不安や恐怖が強まると、過去に繰り返し言われてきた言葉を、自分自身に向けることがあります。
「また失敗した」「こんなこともできない」「もっとしっかりしなければならない」
こうした自己批判が続くと、すでに疲れている心身へさらに負担を加えてしまいます。
特に、幼少期から失敗を厳しく責められたり、感情を表に出すことを許されなかったりした場合には、大人になってからも自分に対して厳しい言葉を向けやすくなることがあります。
そこで、自分に起きていることを具体的に伝える言葉を選びます。
緊張しているときに使える言葉
- 「今はこの部屋にいる」
- 「あのときとは状況が違う」
- 「少し休んでから考えよう」
- 「今すぐ全部決めなくていい」
- 「足は床についている」
- 「背中を椅子に預けられている」
- 「身体が緊張していることに気づいた」
- 「ここまでできたら、今日は十分」
大切なのは、自分の気持ちに合う言葉を選ぶことです。
例えば、本当は強い不安が残っているのに、「もう大丈夫」と繰り返しても、かえって違和感が強まる場合があります。そのようなときには、「まだ緊張している」「今はゆっくり座っていよう」と、現在の状態に近い言葉のほうが受け入れやすいことがあります。
また、自分を責める考えが浮かんだとき、その考えを無理に打ち消すより、今の自分に何が起きているのかを具体的に確認する方法もあります。
「失敗したから緊張している」「強く注意されたので身体が固まっている」「今日は人と長く話して疲れている」
このように状況を整理できると、漠然とした自己否定から、自分の状態を理解する方向へ意識を向けやすくなります。
身体の状態を確認したあとに、短い言葉で今の自分へ注意を向ける。その繰り返しによって、緊張したときに自分を責める以外の対応を選びやすくなる場合があります。
言葉を使うことが負担になるときには、目の前にあるものを見たり、背中の支えを感じたりするだけでも十分です。
トラウマケアをしても落ち着かないとき
身体のワークに取り組んでも、すぐに緊張が和らぐとは限りません。
落ち着こうとすると余計に不安になる、身体の感覚に注意を向けると気持ちが悪くなる、目を閉じると怖い記憶が浮かんでくる。そうした反応が現れる場合もあります。
特に、解離症状が強い場合や、身体感覚そのものが過去の恐怖と結びついている場合には、身体の内側に注意を向ける方法が負担になることがあります。
このようなときには、ワークの方法や順番を見直す必要があります。
ワークが負担になる場合の調整方法
| 起きている反応 | 対応の例 |
|---|---|
| 身体に意識を向けると不安が増す | 室内の景色や手元にある物を見る |
| 深呼吸をすると苦しくなる | 呼吸を操作せず、自然な呼吸を続ける |
| 背中を預けると落ち着かない | 背後が確認できる位置に座る |
| 目を閉じると怖い記憶が浮かぶ | 目を開けたまま周囲を確認する |
| 身体を動かすと疲労が強まる | 動きを中止して休息を取る |
| 現実感が薄れたり、ぼんやりしたりする | ワークを中断し、現在の場所や周囲の環境を確認する |
例えば、足の裏を感じようとしても感覚が分からず、かえって焦りが強まる場合には、無理に続ける必要はありません。
手元にある物の形や色を見る、椅子の肘掛けに手を置く、部屋の明るさを確かめるといった方法に切り替えることもできます。
また、身体を落ち着かせることばかりに注意が向くと、かえって自分の反応を監視し続けるようになる場合があります。
「まだ緊張している」「どうして力が抜けないのか」「さっきより苦しくなっていないか」と繰り返し確認するうちに、身体の変化そのものが新しい不安の対象になることもあります。
そのようなときには、ワークから一度離れ、普段の生活に戻ることも大切です。
身体の状態が変わらない日があっても、無理に変化を起こそうとする必要はありません。負担を増やさない方法を選び、自分に合ったペースを見つけていくことが重要です。
トラウマケアは、過去を振り返ることと現在の生活を整えることの両方から考える
トラウマによる苦しさは、過去の記憶だけに関係しているとは限りません。
現在も安心できない人間関係の中にいる、仕事の負担が大きすぎる、睡眠不足が続いている、経済的な問題や家庭内の役割を一人で抱えている。そうした状況が続いている場合には、心身を落ち着かせる方法を身につけるだけでは負担を十分に軽減できないことがあります。
例えば、職場で繰り返し叱責されている人が、帰宅後に身体の緊張を和らげるワークを行っても、翌日には同じ状況へ戻らなければならないとしたら、緊張が再び強まることも考えられます。
その場合には、現在の環境にどのような問題があり、どのような支援や調整が可能なのかを考えることが必要になります。
また、親しい相手に自分の意思を伝えられない場合には、身体の緊張への対処に加えて、断ることへの罪悪感や、相手に嫌われることへの恐怖を扱うことが役立つ場合もあります。
複雑性トラウマの治療を研究してきたジュリアン・フォード(Julian D. Ford)とクリスティーン・クルトワ(Christine A. Courtois)らは、複雑なトラウマの治療を考える際、症状だけでなく、感情調整、対人関係、自己理解、生活機能などを幅広く評価することの重要性を示しています。
その人が現在どのような生活を送り、何を負担に感じ、何を支えとしているかによって、適切なケアの進め方は異なります。
日常生活の中で見直したいこと
- 睡眠や休息を取れる時間が確保されているか
- 人と会う予定が続き、回復する時間が少なくなっていないか
- 自分の負担を超えた仕事や役割を抱えていないか
- 不安や恐怖を感じる人間関係が続いていないか
- 困ったときに相談できる相手や支援先があるか
身体の緊張を和らげることと、日々の生活で負担を減らすことは、互いに関連しています。
仕事の量を調整できるようになると、帰宅後の疲労が軽くなる場合があります。人との距離を自分で選べるようになると、会話中の緊張が減ることもあるでしょう。
過去の経験を理解することに加えて、今の生活にある問題へ具体的に対応していくことも、トラウマケアの大切な一部です。
トラウマ治療では、専門的な心理療法が必要になることもある
セルフケアは、日常生活の緊張や不安に対処するための助けになります。一方で、フラッシュバックや悪夢、強い回避、解離、持続する過覚醒などによって生活に支障が生じている場合には、専門的な評価と心理療法が必要になることがあります。
PTSDに対しては、トラウマに焦点を当てた認知行動療法やEMDRなど、有効性が検討されている治療法があります。
英国国立医療技術評価機構(NICE)のPTSD診療ガイドラインでも、成人のPTSDに対するトラウマ焦点化認知行動療法やEMDRが推奨されています。
専門的な治療では、現在の症状や生活状況を評価し、つらい記憶に伴う反応、回避、罪悪感、自責感、人間関係への影響などを扱っていきます。
専門的な支援で扱う主な内容
- トラウマ反応の理解:過覚醒、フリーズ、解離、フラッシュバックなどの特徴を整理する
- 感情調整:強い不安や怒り、悲しみなどに対処する方法を身につける
- 身体反応への対応:緊張や感覚の変化に気づき、自分に合った調整方法を探す
- トラウマ記憶への働きかけ:専門的な心理療法を通して、記憶に伴う苦痛や回避を扱う
- 対人関係の調整:自分の希望を伝えることや、必要な距離を取ることを練習する
- 生活の再構築:睡眠、仕事、家庭生活、社会的な活動などを整える
マリレーヌ・クロワトル(Marylène Cloitre)らは、幼少期の虐待に関連したPTSDに対し、感情調整や対人関係のスキルを扱う段階と、トラウマ記憶への曝露を組み合わせた治療について研究しています。
こうした研究は、トラウマ治療を考える際に、その人の感情調整能力や対人関係上の困難を含めて支援を組み立てる重要性を示しています。
ただし、すべての人が長期間の安定化を終えてから記憶処理へ進まなければならないという意味ではありません。症状や希望、現在の生活状況、解離の程度などを踏まえ、適切な治療を選択することが大切です。
身体を使った基本ワークも、専門的な治療の代わりというより、日々の生活で自分の状態に気づき、負担を調整するための補助的な手段として位置づけることができます。
トラウマケアで大切なこと|回復は日常の小さな変化に現れる
長いあいだ身につけてきた反応は、生活のさまざまな場面に入り込んでいます。
人の顔色を気にしてしまう日もあれば、断りたいことを断れない日もある。落ち着いて話せるようになったと思っていても、相手の強い声を聞いた途端に昔のような緊張が戻ることがあります。
そうした変化があると、これまでの努力が無駄だったように感じたり、また振り出しに戻ってしまったと落ち込んだりすることもあるでしょう。
しかし、回復の過程では、緊張が現れることだけでなく、そのあとにどのような対応ができるようになったかを見ることも重要です。
以前は相手の言葉を何日も考え続けていたのが、その日のうちに気持ちを切り替えられるようになった。疲れていることに早く気づき、予定を減らせるようになった。相手が不機嫌でも、すぐに自分の責任だと決めつけずにいられる時間が増えた。
また、以前なら黙って我慢していた場面で、「今は難しいです」「少し考えさせてください」と伝えられるようになることもあります。
回復の過程で見られる変化
- 人と話しているとき、自分の緊張や疲れに気づけるようになる
- 不安が強まっても、少しずつ気持ちを落ち着けられるようになる
- 相手の機嫌を、自分の責任として抱え込みにくくなる
- 断ることや休むことへの罪悪感が少しずつ和らぐ
- 自分の感情や希望を言葉にできる場面が増える
- 過去の出来事を思い出しても、以前より現在の生活へ意識を戻しやすくなる
- 人と関わることや、一人で過ごすことを自分で選びやすくなる
こうした変化は、身体の反応が完全に消えたかどうかだけでは測れません。
自分の感情を理解できるようになること、生活の中で必要な休息を取れるようになること、人との距離を自分で調整できるようになることも、回復の大切な一部です。
また、回復の過程では、自分がこれまでどれほど無理をしていたかに気づくこともあります。
人と関わったあとに疲れていることが分かるようになると、以前より疲労を強く感じる日があるかもしれません。これまで抑えていた怒りや悲しみが意識されることで、一時的に気持ちが揺れる場合もあります。
そのような変化についても、現在の生活状況や症状を確かめながら丁寧に扱っていくことが重要です。
トラウマケアは、自分を別人に作り変えるためのものではなく、今の生活に合う方法で自分の心と身体を扱えるようになるための取り組みです。
過去の環境では、緊張し続けることや相手に合わせることが必要だったかもしれません。しかし、現在の生活では、その方法を少しずつ変えられる場面があるはずです。
安心できる場所では身体を休め、負担の大きい関係からは距離を取り、自分の希望を伝えられる場面を増やしていく。その積み重ねの中で、人は自分の感覚を取り戻していきます。
このページで伝えたいこと
トラウマケアで大切なのは、今の自分に何が起きているのかを理解し、その状態に合った方法を選ぶことです。
身体が緊張しているときには、足の裏や背中の感覚を確かめる。考えが止まらなくなったときには、周囲の景色へ意識を向け直す。喉が詰まるときには、小さなハミングを試してみる。身体が固まるときには、指先や足先を少し動かしてみる。
こうしたワークは、日常生活の中で自分の状態を確かめるための手がかりになります。
また、心身の緊張が強まる背景には、過去の経験だけでなく、現在の人間関係や生活環境が関係している場合もあります。身体を整えることに加えて、仕事の負担や人との距離、休息の取り方などを見直すことも重要です。
そして、過去の記憶や強い身体反応によって日常生活が難しくなっている場合には、一人で抱え込まず、専門家とともに取り組む方法があります。
神戸・オンラインでのトラウマケアについては、こころのえ相談室|はじめての方へでご案内しています。
緊張したときに自分の状態を確かめられること。疲れたときに休む方法を選べること。人との関係で自分の気持ちを見失いそうになっても、少しずつ自分の感覚へ戻れること。
長いあいだ、自分の気持ちを抑え、周囲の期待に応えることで生活を続けてきた場合には、自分が何を感じているのかを確かめることさえ難しくなっているかもしれません。
それでも、身体の小さな変化に気づき、自分の負担を理解し、今の生活に合った関わり方を選び直していくことはできます。
回復とは、いつも落ち着いていられるようになることだけを意味するものではありません。緊張する日があっても、疲れた自分に気づき、必要な休息や支援を選べるようになることも、大切な変化です。
そうした日常の積み重ねが、これまでの守り方に縛られず、自分に合った生活を築いていくための土台になります。
参考文献
- Ogden, P., Minton, K., & Pain, C. (2006). Trauma and the Body: A Sensorimotor Approach to Psychotherapy. W. W. Norton & Company.
- Cloitre, M., Koenen, K. C., Cohen, L. R., & Han, H. (2002). Skills Training in Affective and Interpersonal Regulation Followed by Exposure: A Phase-Based Treatment for PTSD Related to Childhood Abuse. Journal of Consulting and Clinical Psychology, 70(5), 1067–1074. https://doi.org/10.1037/0022-006X.70.5.1067
- Ford, J. D., & Courtois, C. A. (Eds.). (2020). Treating Complex Traumatic Stress Disorders in Adults: Scientific Foundations and Therapeutic Models (2nd ed.). Guilford Press.
- National Institute for Health and Care Excellence. (2018). Post-traumatic stress disorder (NICE Guideline NG116). https://www.nice.org.uk/guidance/ng116





トラウマ、解離、愛着の傷、複雑性PTSDなど、心身に残った防衛反応を丁寧に見ていきます。話すことだけに頼らず、身体の反応や安心の感覚も大切にしながら、回復の土台を整えていきます。
過緊張や生きづらさを、育った環境や親子関係のなかで身についた生存反応という視点から見つめ、身体と神経系から安心を取り戻していくための22のレッスンをまとめています。